飯塚高校サッカー部/FOOTBALL CLUB IIZUKA

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マネージャー日記#3 笹尾勇太(250911 / 飯塚高校サッカー部)

今回もマネージャー日記を書かせていただきます。飯塚高校サッカー部マネージャーの笹尾勇太です。

まず初めに、夏に行われたインターハイ全国大会でベスト8という結果を残せたこと、そして応援してくださった皆様に心から感謝申し上げます。

今大会は福島での開催でした。豊かな自然や食文化など多くの魅力を持つ土地ですが、同時に2011年の東日本大震災と原発事故の記憶を抜きに語ることはできません。宿泊した双葉町では、放射線を測定する機器が日常に置かれ、非現実的な世界を目の当たりにしました。私たちは、この地で全国大会を戦える意味をチーム全体で共有し、試合に挑みました。

大会では準々決勝まで進むことができましたが、0-2で敗れ、チームとしても選手個人としても力不足を痛感しました。ベスト8という結果は嬉しいものでしたが、同時にベスト4以上の壁を強く感じ、次のステップに向けた課題が明確になった試合でもありました。

大会を終えて福岡に帰る日の朝、私たちは「請戸小学校」に立ち寄りました。津波で大きな被害を受けた校舎は今もそのまま残され、当時の状況をリアルに感じさせる場所でした。児童たちはおよそ1.5km離れた高台の墓地まで避難したそうです。卒業を控えた6年生もいたはずですが、全員が無事に避難できたことを知り、言葉にできない感情を抱きました。周囲には草原が広がり、遠くに海が見えるだけの静かな場所。当時の人々がどれだけ必死だったかを想像すると、普段当たり前にサッカー部の活動ができる環境のありがたさを改めて実感しました。

現地の方々は震災を経験しながらも前向きに生きておられ、その姿勢に強い力をいただきました。福島からの応援の声、さらに飯塚から駆けつけてくれた皆さんの声援が、私たちの背中を押してくれました。県大会から共に歩んできた吹奏楽部やダンス部、さまざまな人々の思いを乗せて、チーム飯塚として掴んだベスト8だったと思います。

インターハイ後には夏合宿が行われ、各カテゴリー限界まで追い込む夏となりました。

8月末には、飯塚高校のグラウンドでサッカー教室を開催しました。元日本代表の久保竜彦さんも来校し、小中学生約200人が参加してくれました。大分から来てくれた子もいて、飯塚高校サッカー部のファンの多さを実感しました。普段の練習では見られない高校生の意外な一面や、子どもたちに優しく接する姿も見られ、ボールひとつで子どもと高校生がつながる特別な時間になりました。

教室が終わってもグラウンドに残り、1日中ボールを蹴り続ける子どもたちの体力には圧倒されました。私も小学生と一緒に高強度で3時間ボールを蹴り続けました。途中、雨が降ってきたときにテントに戻ろうとすると「勇太!雨なんて関係ない!!」と言われ、思わず笑ってしまいました。翌日は筋肉痛になりましたが、元気いっぱいの子どもたちからたくさんの力をもらい、とても充実した時間を過ごせました。

活動中クラブアドバイザーの岩佐さんと話した時に、

「10年でここまで成長できたんだから、四半世紀後はもっと分からないし、半世紀後なんてもっともっと分からない。もしかしたらJクラブが飯塚に誕生しているかもしれない。だからこそ挑戦し続ける必要がある。」

という言葉が胸に刺さりました。私も岩佐さんのように、挑戦し続ける人でありたいと思います。

私は、飯塚がサッカーの街になり、子どもたちが一人一球サッカーボールを持つことが当たり前になる。そんな未来になればいいなと思います。いつか飯塚から日本を代表する選手が生まれることを願っています。元日本代表が来るというだけでも刺激になり、子どもたちがサッカーを好きになるきっかけになっています。

「好きこそ物の上手なれ」
「まだまだと思う心が宝物」

飯塚高校サッカー部は、子どもたちだけでなくお年寄りも含め、幅広い年代の方に勇気や希望を与え、地域の誇りとなる存在でありたいです。日頃応援してくださる皆様に感謝しつつ、今後も地域の子どもたちの育成活動に積極的に取り組んでまいります。さらに、より多くの子どもたちに参加してもらい、サッカーの楽しさや仲間とのつながりを感じてもらえる場にしていきたいと思います。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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